あなたの欲しいカメラは!?
キーワードを入力してcheck it out!

 
 
トップ
フォトボイストップ
 
フォトヴォイスBBについて
フォトボイスBBについて
 
フォトギャラリー
●高島鎮雄の
「クラシックカメラで撮る楽しみ」
 
シリーズ
連載コラム
●赤城耕一の「アカギカメラ」
●飯田鉄の「レンズ譚」
●田中長徳の「カメラ温故知新」
●円谷円の「縁だよ縁」
 
レポート

●中村文夫の「新製品レポート」
 第1回 ベッサフレックスTM
 第2回 ローライフレックス6008AF
 第3回 ペンタックス *ist D
 第4回 ローライフレックス 4.0 FW
 第5回 フジTX−2
 第6回 ミノルタ α-70
 第7回 エプソン R-D1
 第8回 ライカCM
 第9回 ローライフレックス・ミニデジ
 第10回 ベッサR2A、R3A

 
ライブ
ストリーミング配信
●トークショーのライブ映像配信
●ライブカメラで京都の街をぐるっと一望
 
オンデマンド放映
●田中長徳の「銘機礼讃」>
●高島鎮雄の
「クラシックカメラの楽しみ方」

●円谷 円の「縁だよ縁」(映像版)
 
フォトグラファープロフィール
フォトグラファープロフィール
 
オリジナルグッズ
オリジナルDVD
●トークショーDVD
●田中長徳の「銘機礼讃」DVD
 
リンク
オススメリンク集
 
履歴
過去のニュース
 
 
 

 

 


バナーです。ご自由にお使い下さい。

 

 

イメージ
赤城耕一 田中長徳 円谷円 飯田鉄 イメージ コラム トップ イメージ
イメージ
イメージ
第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回 第7回 第8回 第9回 第10回 第11回 第12回  
第13回 第14回 第15回 第16回 第17回            

第1回タイトル


ローライフレックス3.5F。プラナー75ミリF3.5つき。2.8Fよりも確実に使用頻度が高く、モチーフを選ばずあらゆる撮影に使用している。私の所有クラシックカメラの中では、珍しく費用対効果が得られた機種である。

※写真をクリックすると、大きなサイズで御覧頂けます。

株式会社駒村商会 http://www.komamura.co.jp

 21世紀になっても二眼レフである。と書くと、いかにもクラシックカメラ一辺倒趣味の嫌味なオヤジと思われてしまう危険があるかもしれない。
 やや意識過剰になっているのではないかと思われるかもしれないけれど、世間一般からすれば、二眼レフの存在位置など、あまりに古く、趣味的すぎるものとして認識されているから、二眼レフを個人的には応援したくても、発言にはそれなりの覚悟がいるというものである。実際に二眼レフをぶらさげて街に出て、真面目に写真を撮影しているのだ、という雰囲気を醸し出すのは難しい。このあたりはバルナックタイプライカで、真面目に撮影をしているのだ、と言ってもあまり信用されないのと一緒である。
 

 

 

 

 

※写真をクリックすると、
 大きなサイズで御覧頂けます。

ゴッセン社製のメーターは、とくにアテにしているわけでもないし、信用もしていない。しかし、不動だと寂しいという典型的な部位であろう。
 
レンズにウルサイ人はHFTコーティングが施されたプラチナの2.8Fモデルに搭載されたプラナー80ミリF2.8が最高だという。が、このプラナー75ミリF3.5レンズもかなり優秀であると考えている。もしHFTコーティングが施されたらどうなるだろうか?
 
シャッターと絞り数値窓。小さくて見にくいのは欠点であると言えるだろう。細かい絞り設定もかなりいい加減にやらないといけない。LVでセッティングすることを基本としたE型までのモデルから、機構改造しなかったからこうなったのだろうか。
 
ローライフレックスの二眼レフは、バックシャンでもある。レンズを見せなくても、それなりの希求力があるカメラというのは数少ないのではないか。
 
12/24切り替えノブ。これはまだパーツがあったころに、改造してもらったのだ。実は220フィルムを3.5Fで使ったことは一度しかない。操作方法を曖昧にしか覚えていないため不安なのである。
復活した二眼レフの市民権
 
 ところが嬉しいことに、このところ、それこそ10年前よりも、二眼レフの「市民権」は得られてきているような気がするのは、私だけなのであろうか。
 この要因は20代、30代の若い写真家の間で二眼レフ、とくにローライフレックスを使う人が増えてきているからである。私の年代でも、すでに二眼レフは過去のものとして捉えられていたからこの現象はとても不思議でならない。
 私のような不真面目な機材依存症カメラマンではなく、自分を写真で表現することを、まず第一義に考えるクリエイティブなカメラマンが二眼レフを選択しているというのは、いったいどういった理由からであろうか。
 ここで、いつものカメラ雑誌流に言うならば、二眼レフは撮影時に像の消失がないとか、シャッター音が小さいメリットがある、ミラーの作動がないので手ブレの心配がないと簡単に書いてしまうと、話はそれで終わってしまうのであるが、どうもその事実はいくぶん異なるところがあるようだ。
 幾人かの若いローライ使いたちにインタビューを試みてみると、女性なら「カワイイ」だとか、デザインが綺麗などという理由を挙げ、男性ならばカッコイイからという返答が返ってくる。
 なんだ、これならばオジサンカメラマンがローライフレックスを選択する理由と何ら変わらないではないか。ひと安心である。  もともとカメラの選択する理由など、そうしたたわいもないことで構わないはずだ。今の機能優先主義的なデジタルカメラやAF一眼レフを比較する場合は、スペックが全てにおいて最優先されてしまうが、そうした機能の中で、実際に撮影に役立ったと思われるものなど、私にとっては、ほんの数えるほどしかないのが現実というものだし、多くのプロカメラマンも、カメラ雑誌の作例データみたいにカメラの自動化機能に頼って全て撮影を行っているわけではない。
 本来ならば、カメラを見た瞬間に、その姿によってそれが自分にとって必要であるかないかを判断するべきなのである。機能に自ら溺れたいという人もとくに日本では多いのかもしれないけれども、そうした人の中で満足できる写真を製作できる人など、ごく僅かなものであろう。


二眼レフの特異性
 
 カメラと名がつけば、すべて愛したくなってしまう博愛主義者である私なのだが、こと二眼レフに馴染むのには珍しいことに、それなりの時間を要した。最初にローライを手にしたのは20代の終わりだったように記憶しているが、その姿とカタチからも、出来上がる写真は、全て古めかしく写るのではないかという思い込みもあったから、なおさら不安であった。
 これは、それまでの人生の中で二眼レフとの出会いが皆無だったということもある。左右逆像に見えるファインダーは、すでにハッセルブラッド500CMなどで経験済みであったはずだが、最初に入手したローライフレックス3.5Fでは、その暗いファインダースクリーンともあいまって、パララックスも存在し、これで正確なフレーミングを行い、さらに微妙なシャッターチャンスを得るのは不可能のように思えた。
 一般的にこうしたイメージというのは、カメラにとって、かなりのマイナス要因であるはずだが、偉大なる先達は、ローライフレックスで素晴らしい作品を残しているのであるから、練習を積めば使いこなすことができないはずはないと考える。
 単純に私がなぜローライに興味を持ったのかと言えば、ヘルムート・ニュートンやイモジン・カニンガム、リチャード・アベドンといった大写真家が使用していたからである。
 もちろん同じカメラを使用したとしても、出来上がる写真の出来不出来とはまったく関係がないことであるが、先達に近づくためには、まず機材を同じものからというわけである。単純な話なのである。
 それからローライとの格闘がはじまったのであるが、意外にもスムーズに操作、撮影できるようになるまで、時間はかかったけど、それほどの苦労は感じなかった。このへんはあらゆるカメラを操作することに長ける、天賦の才能が私にあったということであろうか(笑)。


精神を矯正する二眼レフ
 
 ここで、少し話が逸れるけれど、こうした二眼レフにしても、レンジファインダーライカなど、クラシックカメラ購入の相談を受けることが最近多くなってきた。長文のお手紙などを頂いてしまうと、依頼仕事の原稿以上に返事書きに逡巡したりしている。
 私にしても仲間が増えるのは嬉しいものだから、時間の許す限りアドバイスはすることにしているのだが、どうも写真の根本的知識がまったくないまま、そのカタチだけで熱くなってしまい、購入後にはさほど練習を積まないまま、撮影に挑み失敗してイヤになる事例というのはかなりあるようなのである。
 私も、苦労したり努力するのは人一倍嫌いなほうであるから、人のことをとやかく言える立場ではないのであるが、ある時友人がライカM4を購入するのを手助けするのに、カメラ探しから、つき合ったことがある。苦労の末、市価よりもだいぶ安い金額で入手することができ、私は自分のことのように嬉しくなってしまった。
 それから3ヶ月後に再び会ったのだが、その友人はもうM4を手放していた。自分には使いこなせなかったというのがその理由であるが、よく聞けば、最初に撮影した時にM4と同時に購入したエルマー50ミリF2.8を沈胴させたまま撮影し、全てピンぼけ写真を作ってしまい、それでもうイヤになったというのである。まったく言葉を失うような話であるが、二眼レフにおいても勘違いからくる同じような話がある。
 先に、カメラ購入にあたって、カタチから入るのは悪いことではないと書いたけれども、カタチが美しいのと、写真が簡単に写せるというのはまったく次元の違う話ではないかとも思うがどうだろうか。
 少なくとも今の「写ルンです」を使えばわかる通り、露出の知識が仮に皆無であったとしても、カラーネガフィルムを使用し、これをきちんとカメラに装填できさえすれば、どんなクラシックカメラであっても、画像はかなりの確率できちんと写るものである。
 私も努力するのはイヤなのだが、こうしたクラシックカメラの真の存在価値とは、日々の利便性によるべく作られたカメラを使いすぎ、弛緩してしまった自分の軟弱な精神を、少しでも矯正するために必要なのではないかと考えているくらいである。つまりこうした完全マニュアル操作カメラは自分を甘えさせないための、最後の砦ではないかと考えているくらいなのである。なお、ローライの詳しい歴史、操作方法などを知りたい読者には、メディアジョイから発売されているローライカメラ図鑑CDが最高である。これが10年前に発売されていたならば、私もそんなには苦労をしなかったように思えるのだが(笑)。


ローライ3.5Fが最高だ
 
 さて、話を元に戻すことにする。私が入手した最初の二眼レフは、ローライ3.5Fである。王道の2.8Fではなくて、なぜ3.5Fなのかということはよく質問されるが、これはデザインではなく、フィーリングによるところが大である。
 一番気になるのは2.8Fに共通するシャッターボタンの押し具合である。何となくストロークが重く、ボタン自体が、ぐずぐずと押されてゆくという感じがするのが、イヤなのだ。かなり多くの個体を操作してみての結論だし、現行品の2.8FXだって、フィーリングはあまり良くない。シャッターボタンの位置からして、レリーズを無理に引っ張ってきているということが原因なのであろうか、このあたりはカメラ構造の専門家ではないからよくわからない。
 3.5Fの場合は、重量のバランスが生理的に合っているということも言える。これはカメラを実際にホールディングしてみればすぐにわかることだが、2.8Fの、やや前のめりになりそうなバランス感が感じられない。実際には、これは光学系の重量が2.8Fのほうがあるからではないかと推測される。
 75ミリという、一見中途半端なような焦点距離も魅力的である。わずかに広角に寄っているというだけでも、スナップワークに適し、ハッセルのプラナー80ミリつきなどと共用したとしても、独自の存在感があるのではないかと考える。実際にこの画角は撮影しやすく、とくに街角の風景などでは、フレーミングを決めやすい。

 
プラナーかクセノタールか

 実際の写りについてだが、3.5Fはその誕生時に『アサヒカメラ』のニューフェース診断室において取り上げられ、かなり辛辣な意見を浴びせかけられた。とくにプラナー75ミリF3.5レンズの性能が、ボディに詰め込むために無理をして設計したレンズであると酷評されていたことが有名である。
 しかし、果たしてそうだろうか?2000年にブラウンシュバイクのローライ工場を訪問した際、私の機材というのは、ローライ3.5FとニコンFM10のみであり、ほとんどの撮影を3.5Fをメーンに行ったが、私はこの時に、再度このプラナーレンズの性能の奥行きの深さを知るのである。
 工場内は暗かったが、私はほとんどの撮影をアベイラブルライトで行った。このため絞りはだいたい開放値近辺ということになった。しかし、写真の鮮鋭度は撮影した本人が驚くばかりのもので、ディテールの再現性も見事であった。
 中心部の鮮鋭度は実はあまり絞っても変化はない。開放から十分に通用するパフォーマンスがある。しかし、近距離撮影時には、まれに周辺が引っ張られるような印象をうけることがあることは事実である。しかし、これとて十分に許容できる範囲であり、別の意味では個性的であると感じることもある。
 また、ボケ味が自然なためであろうか、ピントの合った部分から、完全なアウトフォーカス部分に至るまでのなだらかな像の崩れかたは特筆すべきものがある。このため立体感を表現するのに適する。
 コントラストも開放から高いほうで、プラナー80ミリF2.8レンズとは性格が異なる、言わば、開放から真実を追求できるレンズのように思えた。  そういえば、かつてプラナー75ミリF3.5とクセノタール75ミリF3.5の撮り比べというのもしたことがある。これも『アサヒカメラ』の二眼レフ特集においてであったが、絞り込んだ時にはまったく両者の区別がつかず、わずかに開放時にクセノタールのほうがコントラストが高く感じ、プラナーのほうが口径食の影響が小さく、光源のボケのカタチが円に近いということだけが印象に残っている。
 この結果とて、実に些末なことなので、実際に出来上がる写真の内容には何の影響も及ぼすわけではないし、価値もない。世間で大騒ぎするほど、両者の差異は認められなかったのである。
 それにしてもブランドの力というものは大きいもので、現在でもプラナー付のほうが変わらぬ人気があるようだが、だからと言って、クセノタ−ル付の3.5Fのほうも、最近では決して市場に溢れているという感じはしない。最終バージョンの3.5Fはほとんどクセノタール付になったように記憶しているが、数が少ないのは、きちんと実用に使われているということなのであろうか。不思議なことである。

二眼レフ発展の夢の可能性

 最近のデジタル一眼レフの席巻は凄まじいものがあるが、そのベースとなっているものは、まだ35ミリフィルム一眼レフカメラであることが多い。
 このことで時折、夢想するのはローライのような二眼レフを、デジタル化したらどうなるであろうかということだ。大きさはかつての4×4サイズのベビーローライくらいがいいだろう。これでもサイズ的には、キヤノン1DとかニコンのD1Xなどよりも、ぐっとコンパクトな様相をみせるはずだ。
 ウエストレベルファインダーはそのままで、光学系ファインダーの仕様でもよいけれど、液晶モニターをここに組み込んでしまうという手法もあると思う。
 基本的には、二眼レフのメリットをそのまま流用したデジタルカメラができるように思えるのだが、いかがなものであろうか。
 ローライはつまらないコンシューマのデジタルカメラを今さら作っていても、何の意味はない。下手をすると大事なブランドイメージを壊してしまうことにもなりかねないのである。
 デジタルカメラ分野も開発途上と言いながら、カメラ的には機能上の限界があるように思うわけだ。世間ではM型ライカのデジタル化を求める声が多いようだが、私はローライ二眼レフのデジタル化のほうが、数倍面白いように思えるのである。

(c) 2006 photovoicebb.com